はじめに
「ギターの神」と称されるジミ・ヘンドリクス。彼の革新的で感情豊かなギタープレイは、音楽史に 偉大な足跡を残しました。そして、そのサウンドを語る上で決して欠かせない存在、それが フェンダー・ストラトキャスター です。
燃えるようなギターソロ、サイケデリックなフィードバック、そして前例のないサウンドスケープ。ジミ・ヘンドリクスの音楽は、常にストラトキャスターと共にありました。なぜ彼は数あるギターの中からストラトキャスターを選び、そしてどのようにしてそのポテンシャルを極限まで引き出したのでしょうか?
ある無名ギタリスト
1966年9月24日、ある無名ギタリストがロンドン空港に降り立った。
持ち物は1組の着替えとストラトキャスター1本のみ。 それから9カ月の間に、 彼はミュージック・シーンに大変革をもたらし、ギター奏法を新たな段階へと押し上げた。 本名ジョニー・アレン・ヘンドリクス。 1942年11月27日、 ワシントン州シアトルに生まれる。 15歳で初めて手にしたギターは、5ドルで買った安物のアコースティックだった。 1959年までに、最初のエレクトリックギター、スプロのオザーク (Ozark) を手に入れる。 ヘンドリクスはロックン・ロールとブルースに熱中した。エルヴィス・プレスリーを崇拝し、 1957年のシアトル公演にも足を運んだ。 1961年、 陸軍に入隊。 翌62年に除隊してからセミプロのミュージシャンになり、サム・クック、チャック・ジャクスン、ジャッキー・ウィルスン、 ジ・アイズレー・ブラザーズ、 リトル・リチャードといったミュージシャンのバックで技を磨きながら、プロとして活動を始める。
活躍
フェンダーに親しみ始めたのはプロとして活動を始める頃だ。 最初はデュオ・ソニック。 次にジャズマスター。 最後に自分の楽器と定めたのがストラトキャスターだった。 右利き用のギターを逆さまに持ち左利きの構えで弾くスタイルは、1960年代を通じて彼のトレードマークになった。
※この「逆さまストラト」は単なる見た目のインパクトに留まりません。通常のストラトキャスターとは異なる弦のテンションや、逆さまになったピックアップのポールピース配置、そしてボリューム・トーンノブの位置関係が、ジミにしか生み出せない独特のトーンと演奏性を与えました。特に、逆さまになったヘッドストックは低音弦のサスティーンを長くし、高音弦のテンションを緩やかにすることで、彼のダイナミックなベンディングやヴィブラートを可能にしたと言われています。
1966年半ば、ジミー・ジェイムズ・アンド・ザ・ブルー・フレイムスを結成。ニューヨークのカフェ・ワ? (CAFE WHA?) でプレイしているところを、 アニマルズのベーシスト、チャス・チャンドラーに見いだされる。 チャンドラーは母国イギリスでヘンドリクスをスターにできると確信し、すぐさま海を渡らせた。
イギリスでベーシストにノエル・レディング、ドラマーにミッチ・ミッチェルを迎え、ザ・ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンスが誕生。このトリオ・バンドは瞬く間にイギリス、そしてヨーロッパ中にセンセーションを巻き起こす。1960年代半ばのロンドンは、ヘンドリクスが自分のスタイルとサウンドを磨き上げるのにうってつけの場所だった。 「ヘイ・ジョー (Hey Joe)」 「パープル・ヘイズ (Purple Haze)」 といった初期の録音は彼の才能を余すところなく伝えている。 ヘンドリクスはギターを歌わせることができた。 彼のように聴衆の心を揺さぶるギタリストは、後にも先にも存在しなかった。 ファズやフィードバックを自在に操り、音楽ですべてを語った。 弦を歯で弾き、ギターを頭の後ろに回し、派手なステージ・アクションで人々の目を奪った。 1967年6月にはモンタレー・ポップ・フェスティバルで米国メジャー・デビュー。ザ・フーに負けじとストラトキャスターをステージで燃やした。 この日から、ヘンドリクスは世界的なスターになった。 最後のライヴとなった1970年9月までのわずか数年間、 彼の星はまばゆく輝き続けた。
宇宙を彷徨うようなサウンド
ジミ・ヘンドリクスは、ストラトキャスターが持つ可能性を最大限に引き出し、新たな音の世界を切り開きました。彼の代名詞とも言えるワウペダルやファズペダルを駆使したサウンドは、まるでギターが歌い、泣き、叫んでいるかのようでした。フィードバックノイズを音楽の一部として取り入れ、アンプの歪みを積極的に活用するスタイルは、それまでのギタリストにはなかった発想です。
特に、ストラトキャスターのクリアで分離の良いシングルコイルピックアップは、彼の繊細かつアグレッシブな表現に完璧にフィットしました。クリーンなアルペジオから、轟音のような歪んだサウンド、そしてサイケデリックなエフェクトまで、彼の指先から放たれる音は、まさに「宇宙を彷徨うような」と形容されるにふさわしいものでした。
史上最高のエレクトリック・ギター・プレイヤー
セールスマンとしてフェンダー・セールス社に長く勤めたデイル・ハイアットは、 ギター史研究家のトニー・ベーコンにこう語っている。「ああいうやつらが出てきて、 ギターの生産が追いつかなくなった。 実際、ジミ・ヘンドリクスのおかげで、フェンダーのセールスマンが束になってもかなわないくらいのストラトキャスターが売れたと思うよ」 ヘンドリクスは間違いなく史上最高のエレクトリック・ギター・プレイヤーである。彼のストラトキャスターの愛用ぷりを見ればそれがわかるだろう。ギブソンのフライングV、 SG、 さらにレスポールを弾く姿もしばしば見られたが、 生涯愛したギターは自分自身を最もよく表現できるストラトキャスターだ。 限界知らずのヘンドリクスの可能性に応えられるのはストラトだけだった。1970年にヘンドリクスが亡くなって以来、 彼に真に匹敵するプレイヤーは現れていない。
伝説のギター、永遠のアイコン
ウッドストックでの「星条旗」演奏をはじめ、ジミ・ヘンドリクスがストラトキャスターと共に作り上げたステージ上のパフォーマンスは、視覚的にも聴覚的にも多くの人々に衝撃を与えました。彼の死後も、その音楽と演奏スタイルは色褪せることなく、多くのギタリストにインスピレーションを与え続けています。
ストラトキャスターは、彼の手に抱えられることで単なる楽器以上の存在となりました。それは、自由と創造性を象徴するアイコンであり、エレクトリックギターの可能性を無限に広げた伝説の証です。ジミ・ヘンドリクスとストラトキャスターの物語は、これからも世代を超えて語り継がれていくことでしょう。彼の残したサウンドは、今もなお、世界中のギターを愛する人々の心に深く響き渡っています。
まとめ
ジミ・ヘンドリクスにとって、ストラトキャスターは単なる楽器ではなく、彼の音楽そのものでした。その出会いは必然であり、彼の革新的なプレイによって、ストラトキャスターは新たな可能性を開花させました。彼の魂が宿ったストラトキャスターのサウンドは、これからも永遠に私たちの心に響き続けるでしょう。
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