はじめに
アメリカのギターの歴史を紐解いてみたいと思います!とても興味深い本でしたので、ここに記したいと思います。
HISTORY OF THE AMERICAN 1952ギブソン
1952ギブソン、初のソリッドボディー・ エレクトリックを発表
フェンダーがソリッドボディーを発表した直後、 ギブソンは当時最も有名だったギタリストのレス・ポールと契約を結び、彼の後ろ盾を得てソリッドボディーの傑作を売り出す。このレスポール・モデルは、まばゆいばかりのゴールド・フィニッシュで商業的にアピールする一方、ギブソンの伝統技を結晶させた削り出しトップのボディーを誇っていた。
レス・ポールはまだ十代だった1930年代からプロのギタリストとしてキャリアを積み始めた。 ラジオ局の放送に出演する他、「ルバーブレッド」という芸名でカントリーを弾き、R&Bとジャズにも傾倒した。1940年頃、彼はあるアイデアを思いつく。手持ちのエピフォン製ホロウボディーを改造してエレクトリック・ギターを作ってみようというのだ。エピフォンのボディーを縦に切断し、4×4インチのパイン角材を真ん中に挟み込んで、仕上げに手製のピックアップを2基搭載。こうして完成した楽器を彼は「ログ(丸太)」と名づける。
レス・ポールはさらに2本のエピフォンに手を加え、今回は「クランカー(ぽんこつ)」 と呼んだ。 1940年代から50年代初めにかけては、改造エピフォンを持ち替えながらステージやスタジオで演奏している。本人の話によれば、1946年頃「ログ」をギブソンに持ち込んでこういうギターを作る気はないか打診してみたが、相手にされなかったという。 それから数年のうちにレス・ポールの名は売れ始めた。ビングクロスビーのヒット曲で共演した後、キャピトル・レコードと契約。自ら開発した多重録音技術を使ったファーストリリース「ラヴァー (Lover)」は、1948年のチャート21位まで上った。
しかし大ヒットを続けて出すようになったのは、シンガー/ギタリストのメリー・フォードと組んでからだ (2人は1949年に結婚)。特に1951年の「ハウ・ハイ・ザ・ ムーン (How High The Moon)」は大流行し、チャート首位を獲得した。
ギブソンレスポール・モデルの誕生。
一方、新参者レオ・フェンダーの動向を注意深く見守っていたギブソンは、フェンダー製ソリッドボディー・ギターが人気を得てきたことから、ソリッドボディーの開発を決断。 テッド・マッカーティー 社長が今や有名ギタリストになったレス・ポールに助力を求める。 ポールは契約に応じ、 新しいソリッドボ ディー・エレクトリックのエンドーサーになった。新モデルは1952年に発売。ギブソンレスポール・モデルの誕生である。
新しいサンバースト・フィニッシュが登場。
レスポール・ゴールドトップの売り上げは1950年代末、徐々に落ちていった。ギブソンは1958年、フィニッシュを伝統的なチェリー・サンバーストに変更してイメージチェンジを図る。オリジナルモデルの見慣れないゴールド・フィニッシュが斬新過ぎると考えたのだろう。彼らの推測はある程度正しかったことが証明される。ゴールドトップの販売数は、1956年の920本をピークに、58年にはわずか434本まで落ち込む。同年、新しいサンバースト・フィニッシュが登場。1959年には 643本まで回復したが、60年には再び低迷。新しい顧客を引きつけるにはレスポールを完全にモデルチェンジするしかない、 とギブソンは決断した。 こうしてサンバーストモデルは登場からたった3年で姿を消す。
サンバーストは復活する。
しかし短命に終わったサンバーストは復活する。1960年代半ばから末にかけて、多くのギタリストが、この楽器は大音量のブルース・ロックで計り知れない威力を発揮できると気づいたのだ。 レスポールの価値を早い時期から認めたミュージシャンとして、アメリカではバターフィールド・ブルースバンドのマイク・ブルー ムフィールド、イギリスではジョン・メイオール & ザ・ ブルースブレイカーズ時代のエリック・クラプトンが挙げられる。レスポールを求める声が高まったため、ギブソンは1968年に初期モデルを再発。 以降、 オリジナル のサンバースト・レスポールに対する評価は高まる一方 で、今ではほとんど神格化されている。生産期間が短かったこと (製作数は約1700本)、 また類まれな音を響かせることから、現代の名器とあがめるプレイヤーやコレクターは後を絶たない。 今日、1958年から60年に作られたサンバースト・レスポール 「スタンダード」は、あらゆるギターの中で最も貴重な存在のひとつだ。
GIBSON LES PAUL JUMBO ギブソン・レスポール・ジャンボ 生産期間 1970 ~ 1971年 写真 1970年頃ギブソンレスポール・シリーズ の中でも風変わり (かつ希少) なモデルのひとつが、写真のフラットトップ・ジャンボだ。 搭載されたローインピーダンス型のピックアップは、 ギブソンが1970年 頃、新しいレスポール・モデルの多くに採用したタイプ。
GIBSON LES PAUL “SUNBURST” ギブソンレスポール・「サンバースト」 生産期間 1958~1960年、 1985年~現在 写真 1960年
レスポール・ゴールドトップのメイプル 「キャップ」 (表板) は、 単色のペイントフィニッシュに 隠れていた。 しかし新しいサンバーストモデルにはほとんど透 明のフィニッシュが施され、下の 木材が透けて見える。 そこでギブソンはメイプル材を 「ブックマッチ」 させ、 左右対称の美しい模様 が出るようにした。 同社は在庫の中で最も見事なメイプル材をアー チトップギターの裏板用に取っ ておいたため、 レスポール・サン バーストの中でも木目の美しさには大きな差がある。
GIBSON LES PAUL “GOLD-TOP”ギブソンレスポール「ゴールドトップ」
生産期間 1952年~現在 写真 1957年、1955年、 ギブソンは新開発の チューン・オーマチックブリッジを採用 (写真)。 1957年にはハムバッキングピックアップを導入。 この組み合わせの結果、史上 最高のソリッドボディー・ギター のひとつと称賛される楽器が誕生した。 上のゴールドトップも人気が高いが、 1958年から60年に作 られたサンバースト・レスポール は、現在コレクター 垂ぜんのヴィンテージ・モデルだ。
GIBSON LES PAUL CUTSOM ギブソンレスポール・カスタム 生産期間 1957~1961年 (写真のスタイル) 写真 1957年
レスポールは1957年、 オリジナルの2ピックアップ (下)に代わり、 新開発のハムバッキングピック アップ3基に変更。 「カスタム」として再登場する。 当時は1954年に 発売された3ピックアップのフェンダー・ストラトキャスターが人気を得ていたため、 ギブソンはそ れを意識したのだろう。
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