フェンダー・アンプ ビートルズとの出会い

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はじめに

フェンダーアンプ大図鑑よりビートルズとフェンダーアンプの関わりをお送りします!!

フェンダー・アンプをたびたび使用 前期

ビートルズは7年ほどのキャリアを通じて、フェンダー・アンプをたびたび使用した。 徹底した調査に基づいた説得力のある著書 『ビートルズ・ギア』 (リットーミュージック) の中でアンディ・バビアックが述べたとおり、 彼らは1962年半ばにドイツのハンブルクにある有名な「スター・クラブ」と7週間の契約で演奏を行っている。「このクラブは外部から招いた出演者に、備え付けのフェンダー・アンプをフルで提供していた。 演奏中のビートルズを撮影した写真には、クリーム色(ブロンド)のトーレックスのフェンダー・アンプとスピーカーキャビネットが完全に揃ったセットが写っている。・・・・・・レノンとハリスンはそれぞれ、 クラブのクリーム色のフェンダーのピギーバックのバンドマスターを、マッカートニーはクリーム色の フェンダーのベースマンのヘッドとコフィンのスピーカーキャビネットを使っていた」


《ラバー・ソウル (Rubber Soul)》 (1965年12月リリース)のためのセッション中、ポール・マッカートニーは小麦色のグリルがついたブロンドのピギーバックのベースマン を、おそらく他のアンプと併用している。 また 《リボルバー (Revolver)》 (1966年8月) では、1964年のファイヤーグローのリッケンバッカー 4001Sをブロンドのベースマンにつないでおり、バンドも当時はブラックフェイスのショウマンを使用している。ハンブルクへの初期のツアー中、ジョンレノンはナチュラル・ブロンドのリッケンバッカー325を入手した後、 ボディを黒に塗り替えている。 ジョンはそれをツイードのナロー・パネルのデラックスにつないだ。

フェンダー・アンプをたびたび使用 後期

1968年11月発売の「ホワイト・アルバム」 [《ザ・ビートルズ (The Beatles)》の通称] のレコーディング中に、バンドはブラックフェイスのデラックスとシルバーフェイスのデラックスリバーブを手に入れた。このうち、ジョンが使ったのは前者だった。 このことについてアンディ・バビアックは、「彼ほどの立場ならフェンダー・アンプの膨大なラインナップの中からどれでも選べたはずだ。 その点を鑑みるに、レノンがその新しいバージョンに惹かれたのは、ハンブルクで最初に使ったフェンダーのツイードのデラックスの思い出が再燃したからだろう」と述べている。
《レット・イット・ビー(Let It Be)》(リリースは1970年5月だが、実際の録音は1969年の《アビイ・ロード (Abbey Road)》よりも前)の作業中、ジョンとジョージは1968年のシルバーフェイスのツイン・リバーブを、ポールは1968年のシルバーフェイスの2×12 ベースマンを使っていた。 ジョージ・ハリスンはベースマンに、お気に入り の手描きペイントが入った 「サイケデリックな」ストラトキャスター、「ロッキー」をしばしばつないだ。

 

ビートルズとの出会い

自社の機材がビートルズの手元に行くことによる宣伝価値は計り知れないほどだが、 ドン・ランドールは見事にそれをやってのけた。しかも、《レットイット・ビー》のレコーディングと映画撮影という最高のタイミングで。 次からは彼の回想を引用する。

「もちろん我々は音楽業界でのビートルズの重要性と知名度を自覚していたので、彼らのマネージャーだったブライアン・エプスタインと交渉した。とはいえ、アンプとギターを手元に届けることに関する実務的な話はメンバーたちと直接交渉したよ。 私はロンドンへ飛んで、アップルレコードの彼らのオフィスを訪ねた。 出迎えたポール・マッカー トニーが、私をリラックスさせてくれた。 ジョン・ レノンもそこにいたようだが、しばらくの間は姿を見せなかった。ポールはとても魅力的な上に、きわめて知識の豊富な人でもあった。彼がアンプと楽器について、特にフェンダーの楽器について熟知しているのは明らかだった。 そして長い間待った末に、やっとジョンが妻のヨーコ・オノと一緒に姿を見せた。ジョンは私を見て、“こいつ、何してるんだ?” と言った。きっと機嫌が悪かったのだろう。 彼は本当に気難しく付き合いにくい人で、なぜそんなに気難しいのかさっぱり分からなかった。 反対にポールは、面白くて礼儀をわきまえた人だった。
私たちは会議机のある大きな会議室に座り、ビートルズが何をしようとしているのか、 そのためにはどんな機材が最適かを話し合った。 その間ずっと、ヨーコ・オノは無言で座ったまま頷いているだけで、まるでトランス状態に入ったみたいに頭を上下に動かしていた。 ジョンは相変わらず不機嫌そうだったが、当然ながら私はジョンとうまくやってできる限りいい顔をしなくてはいけなかった。
話し合いはかなりうまくいったよ。私は、機材を何も持参していなかった。 そのときは打ち合わせだけだったので、機材の配送を後から手配するという段取りをした。 彼らは すでにいくつかフェンダーの機材を持っていたが、それほど多くなかっ た。 しかしこの交渉で、何でも手に入ることになった。 欲しいものを何でも選べるようになったわけだ。 私たちフェンダーがギターとアンプを提供しようとしていることを、 ポールはとても喜んでくれた。 私は ポールと45分ほど、ジョンとヨー コが現れた後も30~40分ほど一緒 に過ごした。 実のところ、ジョンとヨーコが来たときには、ポールと私との間でほとんど話がまとまっていたのだ。 この話し合いの結果、 私たちはかなりの数の機材を、 映画撮影に間に合うように彼らに届けた。

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