はじめに
アメリカのギターの歴史を紐解いてみたいと思います!”HISTORY OF THE AMERICAN GUITAR”とても興味深い本でしたので、ここに記したいと思います。
1998 PRS自社初のホロウボディー・ モデルを発表
高品質のソリッドボディー・エレクトリックを提供し続けてきたPRSが、新機軸のボディー導入を決断する。
ポール・リード・スミスはシンプルなアイデアを思いついた。ソリッドボディー・エレクトリック・ギターの両雄、ギブソンとフェンダーが誇る最高の機能を組み合わせ、究極のギターを作ってみよう、というものだ。
アイデアがシンプルでも、やり方次第では失敗する可能性がある。しかし彼の場合、心配は無用だった。
アイデアがシンプルでも、やり方次第では失敗する可能性がある。しかし彼の場合、心配は無用だった。
1985年の創立以来スミスが作ってきたPRS ギターは、並々ならない決意と情熱が注ぎ込まれた傑作ぞろいだ。
スミスは創業の10年前からメリーランド州アナポリスに拠点を置き、フリーのリペアマン兼カスタム・モデル・ビルダーとして活動していた。
スミスは創業の10年前からメリーランド州アナポリスに拠点を置き、フリーのリペアマン兼カスタム・モデル・ビルダーとして活動していた。
ピーター・フランプトンなどの著名プレイヤーに楽器を提供したことから、彼の名は知られるようになる。特にその後の成功に重要な役割を果たしたのが、カルロス・サンタナ用のギターだ。


PRS HOLLOWBODY II
PRSは本モデルとアーチトップでホロウボディー・ギター市場に参入し、成功を収めた。発表年の末までに、ホロウボディー・モデルは同社生産量の半分を占めるようになる。
PRSは本モデルとアーチトップでホロウボディー・ギター市場に参入し、成功を収めた。発表年の末までに、ホロウボディー・モデルは同社生産量の半分を占めるようになる。
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PAUL REED SMITH’SFIRST GUITAR
PRS創業の10年前、アマチュアだったボール・リード・スミスが作った初期作品。キブソン製フラットトップのレスポール、特に2ビックアップのスペシャルに対する情熱がうかがえる。スミスは地元の大学在学中に本機を製作し、腕前を認められた。早い時期に世間からこういった励ましを受けるのは、ギター・ビルダーの卵にとって非常に重要だ
PRS創業の10年前、アマチュアだったボール・リード・スミスが作った初期作品。キブソン製フラットトップのレスポール、特に2ビックアップのスペシャルに対する情熱がうかがえる。スミスは地元の大学在学中に本機を製作し、腕前を認められた。早い時期に世間からこういった励ましを受けるのは、ギター・ビルダーの卵にとって非常に重要だ


GUITAR FOR PETER FRAMPTON
固い決意を胸にギター・ビルダーの道を歩み始めたポール・リード・スミスは、有名プレイヤーにギターを提供してかなりの成功を収める。本機はその代表的な例で、当時大人気だったフランプトンのために作ったもの。スミスが初期作品を贈ったプレイヤーには、他にアル・ディ・メオラ、テッド・ニュージェント、ハートのハワード・リースなどがいる。
固い決意を胸にギター・ビルダーの道を歩み始めたポール・リード・スミスは、有名プレイヤーにギターを提供してかなりの成功を収める。本機はその代表的な例で、当時大人気だったフランプトンのために作ったもの。スミスが初期作品を贈ったプレイヤーには、他にアル・ディ・メオラ、テッド・ニュージェント、ハートのハワード・リースなどがいる。
1985年、会社設立と同時に初のPRSモデル、カスタムを発表。
フェンダーとギブソンに似た要素の組み合わせという革命的なアイデアを実現する。ダブル・カッタウェイ・ボディーは、スミス流のデザインとギブソン・レスポール・スペシャルを融合させ、フェンダー・ストラトキャスターの曲線美を取り入れたもの。スケールの長さは、フェンダーとギブソンのレギュラー・スケールの中間を取った。搭載したミックス・コントロールは、ギブソンを思わせる豊かなサウンドとフェンダー・スタイルの鋭いトーンを、2つのハムバッキング・ピックアップから紡ぎ出すことができた。
またスミスは、1980年代に流行した複雑なロッキング・ヴィブラート装置を改良できないかと考え、従来のフェンダー製ユニットをベースに、エンジニアと協力してシンプルで実用的なヴィブラートを設計。さらに、1950年代末に作られた名器、サンバースト・レスポール・スタンダードを思わせる美しいのメイプル・トップを採用した。カスタムと同時にスタンダードも発表。
こちらはメイプル・トップ/マホガニー・バックのカスタムと異なり、オール・マホガニー・ボディーだ。PRSは長年この2モデルの開発と改良を続け、ヴァリエーション・モデルや派生モデルを増やしながら、徐々に、しかし確実に成長していった。近年になり廉価モデルが登場したものの、同社の製品は当初から高額だ。
こちらはメイプル・トップ/マホガニー・バックのカスタムと異なり、オール・マホガニー・ボディーだ。PRSは長年この2モデルの開発と改良を続け、ヴァリエーション・モデルや派生モデルを増やしながら、徐々に、しかし確実に成長していった。近年になり廉価モデルが登場したものの、同社の製品は当初から高額だ。


DOUBLE-NECK GUITAR
写真の見事なダブルネック・ギターは、ポール・リード・スミスの忠実な助手ジョン・イングラムによる「見習い作品」。開業したばかりで十分な収入を得られない頃、サンタナのギタリスト、ニール・ショーンに購入された。ショーンはそれ以前にもスミスから6弦ギターを買っている。
写真の見事なダブルネック・ギターは、ポール・リード・スミスの忠実な助手ジョン・イングラムによる「見習い作品」。開業したばかりで十分な収入を得られない頃、サンタナのギタリスト、ニール・ショーンに購入された。ショーンはそれ以前にもスミスから6弦ギターを買っている。


GUITAR FOR CARLOS SANTANA
スミスの「プリ・ファクトリー」期作品中最も重要なのが、カルロス・サンタナ用に初めて作った写
裏のギターだ。メイプル・トップとしては3本目。サンタナとの交流は今日まで続き、多くのキターを提供してきた。現在PRS社はサンタナの「シグネチャー」・モデルをいくつか発表している。
スミスの「プリ・ファクトリー」期作品中最も重要なのが、カルロス・サンタナ用に初めて作った写
裏のギターだ。メイプル・トップとしては3本目。サンタナとの交流は今日まで続き、多くのキターを提供してきた。現在PRS社はサンタナの「シグネチャー」・モデルをいくつか発表している。
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PRS CUSTOM (24)
スミスは1985年、パートナーと共にPRSを設立。本機は生産ラインから2番目に誕生したギターだ。
スミスは愛するメイブル・トップをカスタムに使い続けている。
スミスは1985年、パートナーと共にPRSを設立。本機は生産ラインから2番目に誕生したギターだ。
スミスは愛するメイブル・トップをカスタムに使い続けている。
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1987年には実質的な高級機種であるシグネチャーが登場し、ラインがさらに拡大した。
シグネチャーはカスタムのヴァリエーションで、息をのむほど美しいの木材を始め、より上質な素材で作られている。
この頃までに、PRS ギターの卓越したプレイアビリティーは広く認められるようになっていた。しかし同社の経営陣はシグネチャーに対する反響を見て、すでにある高品質ギターのラインとは別に、「究極の」楽器市場の存在をはっきり認識する。こうしてもうひとつの高級モデル、PRSで初めてノン・ヴィブラート・ブリッジを採用したリミテッド・エディションが登場。一方、廉価モデルを求める声に応え、クラシック・エレクトリック(CE)も誕生した。CEはフェンダー・スタイルへの指向が強く、アルダー材のポディーにメイプル・ネックがボルト・オンされている。
また、PRSの特徴である削り出しトップを使わないEGも発売された。
この頃までに、PRS ギターの卓越したプレイアビリティーは広く認められるようになっていた。しかし同社の経営陣はシグネチャーに対する反響を見て、すでにある高品質ギターのラインとは別に、「究極の」楽器市場の存在をはっきり認識する。こうしてもうひとつの高級モデル、PRSで初めてノン・ヴィブラート・ブリッジを採用したリミテッド・エディションが登場。一方、廉価モデルを求める声に応え、クラシック・エレクトリック(CE)も誕生した。CEはフェンダー・スタイルへの指向が強く、アルダー材のポディーにメイプル・ネックがボルト・オンされている。
また、PRSの特徴である削り出しトップを使わないEGも発売された。



PRS CUSTOM 22 SOAPBAR
カスタム22ソープバーは、フェンダーとギブソンの影響を融合して創り上げられたPRSギターの代表例。同社製で初めてフェンダー式の3ピックアップ・スタイルが採用された。しかしビックアップ自体はキプソンのP-90を連想させる。
カスタム22ソープバーは、フェンダーとギブソンの影響を融合して創り上げられたPRSギターの代表例。同社製で初めてフェンダー式の3ピックアップ・スタイルが採用された。しかしビックアップ自体はキプソンのP-90を連想させる。
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PRS PRIVATE STOCK #62
プライヴェート・ストックは、入手できる最商品質の木材を使った。
カスタムショップ・モデル。木材の仕入れ先も、良質な品を扱う部判の高い会社に限っている。本機を見ればわかるように、こうして作られたギターは現代のギター製作技術を極めた傑作だ。
プライヴェート・ストックは、入手できる最商品質の木材を使った。
カスタムショップ・モデル。木材の仕入れ先も、良質な品を扱う部判の高い会社に限っている。本機を見ればわかるように、こうして作られたギターは現代のギター製作技術を極めた傑作だ。
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1992年登場のドラゴンは、スミスお気に入りの炎を吐<モンスターがボディーを飾る。
製作本数はわずか50本だが、微妙な音の変化がPRS サウンドへの重大な転換を予感させた。多くのプレイヤーがこの変化に気づいたのは、翌年登場のカスタム22を手にした時だ。22はクラシックなカスタムを改良した22フレットのギターで、実質的にはドラゴンから高価なインレイを取り除いたデザインである。
1994年、スミスは元ギブソン社長テッド・マッカーティーとの提携を明らかにし、マッカーティー・モデルを発表。
今度はギブソン色が濃く、特に1950年代製の名器レスポールを思い起こさせた。マッカーティー発表の1年後にはサンタナ・モデルの生産を開始。スミスがまだカスタム・ビルダーだったプリ・ファクトリー時代、サンタナに提供した初期スタイルのデザインを踏製した。



PRS DRAGON 2000
ハイエンド・モデルのドラゴン・シリーズは1992年、50本限定生産のドラゴン1から始まった。1993年と94年にはIとIIが登場。最高位機種のドラゴン 2000は、コンピューター・カットの独特な立体インレイをまとっている。竜を飾るのは色とりどりの貝だ。
ハイエンド・モデルのドラゴン・シリーズは1992年、50本限定生産のドラゴン1から始まった。1993年と94年にはIとIIが登場。最高位機種のドラゴン 2000は、コンピューター・カットの独特な立体インレイをまとっている。竜を飾るのは色とりどりの貝だ。
PRS McCarty SOAPBAR
ソリッドポティーのマッカーティー・シリーズは、カスタムと共にPRSで最も成功しているモデル。「ソープバー」・シングルコイル・ピックアップを搭載したオール・マホガニー・ヴァージョンは、1990年代末のP-90スタイル人気を反映している。
ソリッドポティーのマッカーティー・シリーズは、カスタムと共にPRSで最も成功しているモデル。「ソープバー」・シングルコイル・ピックアップを搭載したオール・マホガニー・ヴァージョンは、1990年代末のP-90スタイル人気を反映している。
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PRS シングルカット
多くのメーカーが長年にわたり、レスポールを露骨にコピーするか、あからさまな着想源にしてきた」と書いたのは、最も類できる社史『The PRS Guitar Book』の著者デイヴ・バーラックだ。「しかしPRSのシングルカットは、今後多くの人から、ギブソンの登録デザインを実際に侵害することなく、1950年代後半製レスポールの神聖なトーンに最も近づいたギターと認められるだろう
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1998年、PRSは重要なモデルを発表する。
ホロウボディーの新シリーズ、マッカーティー・ホロウボディーと、胴が非常に厚いマッカーティー・アーチトップだ。
新しいソリッド・ウッド・モデルは内部構造がかなり複雑なため、コンピューターを使った生産機械を導入し、細かいカーヴィングで補助的に使用した。こうしてPRSギターは新たなサウンドを響かせるようになる。
新しいソリッド・ウッド・モデルは内部構造がかなり複雑なため、コンピューターを使った生産機械を導入し、細かいカーヴィングで補助的に使用した。こうしてPRSギターは新たなサウンドを響かせるようになる。
2000年にはシングルカットが次の宜伝文と共に登場。
「テッド・マッカーティーがシングル・カッタウェイ、削り出しトップのソリッドボディーを世に送り出したのは1952年。
私たちはギターを作る中で、テッドから数え切れないほど多くのことを教わりました」マッカーティーは2001年に世を去った。
翌年、PRSはアメリカ以外で生産したギターを初めて発売。
同社史上最も安価なSEサンタナだ。これで中間市場の購買客もPRSプランドに手が届くようになった。
今日アメリカでの売り上げを見ると、PRSはインスピレーションを受けた2大メーカー、フェンダーとギブソンに続く第3位の座を獲得している。
今日アメリカでの売り上げを見ると、PRSはインスピレーションを受けた2大メーカー、フェンダーとギブソンに続く第3位の座を獲得している。
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