ギブソン フライングVとテッド・マッカーティーとアルバート・キング

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ギター
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新モデル発進計画

「やぼったい」。

1950年代後半、フェンダーギブソンのギターをそう評した。

この言葉に発奮したギブソン社長テッド・マッカーティーは、地元の会社と協力し、ギブソンのイメージを打破する革新的なモデルーフライングV (Flying V)、エクスプローラー(Explorer)、モダーン(Moderne)を製作。1958年、この3機はディーラー向けに発表されるが、反応はほとんどなかった。
新モデル発進計画は暗礁に乗り上げる。1950年代に出荷されたフライングVは、わずか98本。エクスプローラーの出荷数は、その半数にも満たなかった。伝説と化した3番目のモデル、モダーンに至っては、実在さえ確認されていない。現在フライングVとエクスプローラーがもっとも入手困難なヴィンテージ・ギターの一つとされていることを考えると、オリジナルのモダーンが発見されたときのマニアの反応は、想像するだけで恐ろしい。

「フライングV」「エクスプローラー」

   

ギブソン社が1958年に開発したモダーンの復刻モデル!

         

テッド・マッカーティーの経歴

  • 1909年生まれ。
  • 元々はエンジニアとしてのバックグラウンドを持ち、ビジネスマネジメントにも優れた才能を発揮。
  • 1948年にギブソン社の社長に就任し、1966年までその職を務めた。
  • 彼の在任期間中に、レスポール(Les Paul)やES-335、フライングV(Flying V)、エクスプローラー(Explorer)、ファイヤーバード(Firebird)など、数々の伝説的なギターを開発した。

     ギター業界への貢献

    (1)レスポールの開発(1952年)

    • ギブソン初のソリッドボディギターである「Gibson Les Paul」を1952年に発売。
    • ギタリストのレス・ポール(Les Paul)と協力し、ギブソンをフェンダーに対抗できるブランドへと成長させた。
    • レスポールは当初、ジャズ向けのギターとして開発されたが、のちにロックやブルースの象徴的なギターとなる。

    (2)ES-335の開発(1958年)

    • セミホロウ構造を持つES-335を設計し、フルアコースティックとソリッドボディの中間の特性を持つギターとして大ヒット。
    • 現在もジャズ、ブルース、ロックなど幅広いジャンルで使用されている。

    (3)未来的デザインのギターを発表

    • Flying V(1958年):斬新なデザインとサウンドで、のちにハードロックやヘヴィメタルで人気に。
    • Explorer(1958年):角ばったユニークなボディデザインを採用。
    • Firebird(1963年):リバースボディのデザインとネックスルー構造を持つ革新的なギター。

    (4)チューン・オー・マチック(Tune-O-Matic)ブリッジの開発

    • 1954年にギターのブリッジとしてTune-O-Matic(TOM)ブリッジを開発し、特許を取得。
    • これにより、ギターのイントネーション調整が飛躍的に向上し、現在でも多くのギブソンギターに採用されている。

    (5)ファイヤーバードの開発(1963年)

    • ネックスルー構造を採用し、ボディとネックの接合をスムーズにすることで、サステイン(音の伸び)を向上。
    • フェンダーのジャガーやジャズマスターに対抗するモデルとして発売された。

     ギブソン退任後のキャリア

    • 1966年にギブソンを離れた後、ピアレス・ミュージカル・インストゥルメンツ(Peerless Musical Instruments)という会社を経営。
    • 1970年代には、ポール・リード・スミス(PRS Guitars)のポール・リード・スミスと交流を持ち、PRSギターの開発にアドバイスを行った。
    • **PRSの「McCartyモデル」**は、彼の功績を称えて命名された。

     テッド・マッカーティーの遺産

    • 彼のアイデアや発明は、現在もギター業界に大きな影響を与え続けている。
    • レスポール、ES-335、Flying V、Explorer、Firebirdなど、彼の関わったギターは現代の音楽シーンで欠かせない存在
    • 彼の技術革新により、ギブソンはエレクトリックギターのリーダー企業となった。

テッド・マッカーティーは、単なるギター会社の経営者ではなく、革新的な技術者であり、音楽史に名を残す偉大な人物でした。彼の設計したギターや技術は、今なお世界中のギタリストに愛され続けています。もし彼の貢献がなければ、今日のギブソンやエレクトリックギターの歴史は大きく変わっていたかもしれません。

ブルース・プレイヤーとフライングV

鋭い切れ味のパワフルなサウンド、甘いサステイン、ハイ・フレットへの抜群のアクセスしやすさ、そして奇抜なデザイン。世間の反応は鈍くても、ブルース・プレイヤーたちはフライングVを称賛した。愛用者としてまず挙げられるのが、アルバート・キング。

次に、スティーヴィー・レイ・ヴォーンに大きな影響を与えたロニー・マック。
1963年のヒット曲 <メンフィス(Memphis)>は、1950年代製のオリジナル・フライングVにビグスビー・ヴィブラートを取り付けて録音された。

また現代のブルースマン、ラリー・マックレイは、レスポール・カスタムよりエッジの効いた音が欲しいとき、復刻モデルのフライングV67サンバーストに持ち替えている。

アルバート・キング

1960年代にブルース・サウンドをパワー・アップさせた立役者、アルバート・キング。1923年ミシシッピ州インディアノーラ生まれ。誰が聞いてもキングと分かる独特のサウンドは、タイミングを見極める直感、親指を使った鋭いダウンストローク、アコースティック (Acoustic)製アンプ、そして愛用のギターが生み出したものだ。キングが手にしたのは、右利き用に弦を張った左利き用フライングV。チューニングは、スキップ・ジェイムズやアルバート・コリンズの流れをくむCマイナーだった。セント・ルイスのクラブで攻撃的なギター・スタイルに磨きをかけた後、さまざまなレーベルで録音〔1950年代末に最初のフライングVを手にする)。1960年代後半にはソウル・ミュージックの伝説的なレーベル、メンフィスのスタックス(Stax)に移籍し、<クロスカット・ソウ(Crosscut Saw)><ボーン・アンダー・ア・バッド・サイン(Born Under A Bad Sign)>などの傑作を発表。サイケデリック・ブームに沸く白人ロック・ファンの心をつかむ。キングは自分のギターを「ルーシー(Lucy)」と名付け、B・B・キングの従兄弟と名乗りさえした[B-B・キングは愛器を「ルシール」と呼ぶ)。
実際には血のつながりはなく、またアルバートの音楽にはB・Bのサウンドが持つ繊細な美しさやソウルが欠けている。だがこの心優しき巨人は、間違いなく傑出したミュージシャンだった。1992年、心臓発作のためメンフィスで逝去。

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