HISTORY OF THE AMERICAN GUITAR 1947 フェンダー・1949ギブソン

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ギター
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はじめに

アメリカのギターの歴史を紐解いてみたいと思います!とても興味深い本でしたので、ここに記したいと思います。

HISTORY OF THE AMERICAN GUITAR1947 フェンダー

エレクトリック・インストゥルメント社始動

1940年代半ばにカリフォルニアでささやかな出発をしたフェンダーは、1950年代から60年代にかけて最も革新的なギターメーカーと呼ばれるまで成長する。大胆なスタイルの量産型エレクトリックギターは業界に革新をもたらし、ギターの生産方法とマーケティング方式を一変させた。

レオ・フェンダーのギター作り

レオ・フェンダーのギター作りはラップスチールからスタートした。1940年代半ば、パートナーのドク・カウフマンと共にK&Fの名でギターを作り始める。 間もなくブランドをフェンダーに変え、ギターの製作を続ける一方、 それと組み合わせる小型アンプも手がけるようになった。
カリフォルニア州オレンジ郡フラートンに拠点を置き、度重なる経済的な危機を何とか乗り切ったレオは、新しいタイプの楽器のアイデアを温めていく。 ソリッドボディーのエレクトリックスパニッシュギターを実現できないかと考えたのだ。 前例はわずかだがいくつかあった。 オレンジ郡のエンジニア、ポール・ビグスビーは1940年代末、カントリー・ミュージシャンのマール・トラヴィスの
ためにソリッドボディー・エレクトリック・ギターを作った。 レオもその実物を見たと思われる。 実際に手にとって調べてみたかもしれない。カリフォルニアにあったもうひとつのメーカー、 リッケンバッカーは、1935年という早い時期にベークライト製のセミソリッドエレクトリックギターを製作。 しかし商業的にはあまり成功しなかった。

テレキャスター・ストラトキャスター

レオがソリッドボディーを作りたかったのは、音楽的な理由ではなく、生産が簡単になると考えたからだ。 1950年には初のソリッドボディー・ギターとなるエスクワイアとブロードキャスターを発表。 ブロードキャスターは間もなくテレキャスターに名を変え、現在でも生産期間が最も長いソリッドボディー・エレクトリック・ギターとして作り続けられている。 フェンダーはエレクトリック・ギターを工場製品に変え、無駄をそぎ落とし、部品から簡単に組み立てられるようにして、生産コストを抑え、手頃な価格で提供した。この方式のおかげで簡単かつ合理的に生産できるようになり、結果的に今までと異なるサウンドが生まれた。フェンダーらしい太い響きとも、ギプソン・スタイルのジャズ・トーンとも違う、よりクリアでパンチの効いた音は、澄んだアコースティック・ギターと切れ味の鋭いエレクトリック・ラップスチールの中間のように聞こえた。数年後にはフェンダーの最高傑作ストラトキャスターが登場。 3基のピックアップを搭載したスタイリッシュなソリッドボディーは業界標準になり、バディ・ホリーやジミ・ヘンドリクスを始め、今に至るまで多くのプレイヤーの音楽魂に火をつけている。 1954年に登場した時、ストラトキャスターは他のどんなギターとも似ていなかった。 それから数十年たった今では、史上最も人気が高く、最も望まれるギターのひとつになっている。

 

HISTORY OF THE AMERICAN GUITAR1949ギブソン

 

初の3ピックアップ・ギターを発表

エレクトリックギター業界に次々とライバル・メー カーが参入する中、 ギブソンは史上初の3ピックアップ・ギターを発表して注目を集める。 他メーカーが今までどおりせいぜい2基のピックアップで満足する一方、 ギブソンは数を惜しまなければ新製品 ES-5が市場をリードできると考えた。

ギブソンのアーチトップ fホール・エレクトリック・ ギターは、1930年代の発表以来、飛躍的に発展した。 画期的な ES-150 などの最初期モデルに加え、間もなく安価な ES-100、 ハイエンド機種のES-300をラインアッ プ。 しかし1942年にアメリカが第2次大戦に参戦したため、ギターの生産は実質上停止する。 戦後に楽器製造を再開したギプソンは、これからはエレクトリックギ ターの重要度が増すと考えた。 その信念は正しかったことが後に証明される。

ES-100   ES-150 

エレクトリックギターにカッタウェイを導入

1947年のES-350 1949年のES-175とES-5 など、この時期に登場したアーチトップ・エレクトリックの傑作は、ある特定の客層を想定して作られた。 すなわち、ギブソンのようなメーカーが完全なエレクトリック楽器として設計、製作したギターを弾きたいと望むプレイヤーである。 この頃、 ギブソンは他社に先駆けてエレクトリックギターにカッタウェイを導入。 これは非常に理にかなったデザインだった。 アコースティック・ ギターの場合、演奏環境によっ ては、ネックの高いポジション で弾いても音が聞こえないこと がある。 しかしピックアップを搭載したギターなら、 カッタウェイ を施せばハイポジションに簡単にアクセスでき、増幅された音と指板の先端を有効に活用できるわけだ。 才能と想像力に恵まれたプレイヤーたちは、カッタウェイがもたらす芸術的な可能性を大歓迎し、 ほこりをか ぶっていた指板の先をせっせと探り始めた。

ES-350   

ES- 5

ギブソンが初めてカッタウェイを採用したエレクトリック・ギターは、1947年発表のES-350だ (当初付けたタグは、戦前作っていたアコース ティックの「プレミア」のもの)。 ES-350に続き 1949年に登場させたES-175では、ギブソン製エレクトリック初の「ポインテッド」カッタウェイを施し、プレスしたラミネート・トップを使った。 175と同年に発表されたES-5は、(おそらく) 3ピックアップを備えた 史上初のエレクトリック・ギターだ。 1950年版のカタログは、 新発売のES-5を次のように称賛している。 「名器ギプソンL-5の最高級電子版、 ES-5エレクトリックスパニッシュ・ギターは、L-5で絶賛された機能と、 エレクトリックギターで音を増幅する最良の方式を組み合わせました。 個別のコントロールと調整が可能なマグ ネティック・ピックアップ3基が、太く豊かなトーンと ハーモニックスを再現。 ES-5はまさに ‘1000の声を持 つ楽器「です」ギブソンはこのように宣伝したが、 前ページに掲載し た希少なES-350 を見ればわかるように、ES-5は実質的 に350の3ピックアップ版のようなものだった。

やがてオリジナルのES-5は、 多くのプレイヤーの期待ほどコントロールが簡単ではないと判明する。 戦後ギブソンが立て続けに発表したエレクトリック・ギターに共通する仕様だが、ES-5にはピックアップ・スイッチ がない。その代わり、各ピックアップに1基ずつ対応するヴォリュームコントロール (および全体のトーンをコントロールするマスター・ノブ1基) が付いている。 各ピックアップのサウンドのバランスを取るためには、3基のヴォリューム・コントロールを調整して音をミックスしなければならなかった。

ES- 5 スイッチマスター

そこでギブソンは1956年、 ES-5の電装品を改良した ES-5 スイッチマスターを発表する。 宣伝によれば、新モデルは 「より多彩なパフォーマンス、最新式の電装品、エキサイティングなプレイアビリティー」を実現していた。 ヴォリューム・コントロール3基にトーンノ プ3基を加え、 4ウェイ・ピックアップ・セレクター・ スイッチをカッタウェイ近くに搭載(この仕様がモデル 名スイッチマスターの由来)。 当時のカタログは、スイッチについて 「3ピックアップを個 別に作動可能。 お好みの2基を組み合 わせることも、 3基を同時に出力させることもできます」 と説明している。

この頃は、フェンダーが3ピックアップのスタイリッ シュなストラトキャスターを発表したばかりで、エピフォンも6ボタンの「カラー・トーン」スイッチング システム搭載モデルを売り出していた。ギブソンはES- 5スイッチマスターなら市場首位を取れると考えたのかもしれない。 しかし予想に反して人気は出ないままだった。 このような経緯の後、 ギブソンは1951年、 L-5と スーパー400の正式なエレクトリック版を発表する。

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